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真夜中のサイクリングを求めてるんだ

2000年に岡村靖幸が「真夜中のサイクリング」という曲をリリースしました。

岡村靖幸 真夜中のサイクリング - YouTube

彼が最初に覚せい剤所持で捕まる3年ぐらい前のことです。

2000年に岡村ちゃんが既におクスリをやっていたかは分かりませんが、

「真夜中のサイクリング」のジャケットは明らかにLSDシートを思わせるデザイン。いわゆる「紙」ってやつですな。

ってわたしはイリーガルなものはめんどくさいからやらないんすけど、映画かなんかで得た知識です。

薬物を染み込ませた小さな正方形の紙を舌下に含んでおくと、おクスリがまわるわけだ。

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こんなやつね。何故かデザインが可愛いと言う…

 

昨晩遅く、もう日付けが変わったころに最寄り駅について、お店がぜんぶ閉店して、

歩く人もまばらな商店街を歩いていたら、

カップルが自転車の二人乗りをしようとしてました。

 

あっ、「真夜中のサイクリング」じゃん、って思って。

 

わたし、はじめて「真夜中のサイクリング」を聞いた時から、ジャンパーの袖にしがみつきたいよ、岡村ちゃんって思ってて…歌い出しがさ、

「ジャンパーの袖に しがみつけよ

命がけの恋だけが世の中を救うよ」だよ。

岡村ちゃん、ジャンパーの袖にしがみついて命がけの恋で世の中救いたいよ、

ってカップルを眺めながら胸が震えました。

 

この曲、岡村ちゃんのキャリアの空白期間にリリースされてさ、ボイストレーニングをしていなかったのか、あるいはわざとなのかはわからないけど、

岡村ちゃんの声は嗄れていて、ボーカルのテンポも曲から少し遅れ気味なんだよね。

 

ようやっと絞り出すように

「ドキドキするべきだぜ 歴史上の史実のように

無難でずさんな物語で 自ら脇役に志願してるようなもんじゃん」

って歌われたら、そうなんだよね岡村ちゃん、日常や過去にとらわれて、あたしはもう人生の傍観者になりそうだよって思うわけ。

 

けどさ、二人乗り、わたしできないんだけど、取り戻すよ。

やり捨てられた過去?そんなこと変えられないし、離婚だって今さらどうにもならないよ、発達障害由来の躁鬱病も治るわけないじゃん、

でもね、気概だけは持てるかな、持てるといいな、

そう、5連速のギアついた、小学生男子が好きそうなギミック満載の自転車で、

わたしはいつだってマーガリン潰して滑らかに滑りながら生きてくこと、今からならできるんだよ。

 

クソみたいな夜とか、虚しい気分になるご休息はいらない、もうこれからは、シャッター震わすようなキスしかしない。これはただの負けん気の決心です。

骨まで愛してって迫るようなものだった

男の人に言いたいのは、

一夜限りのことならその旨述べて去って欲しいってことで、

別れ際に、また会おうね、連絡するよ、君だけだよなどと囁かないで。

そんなことをしたらわたしはいつまでも連絡を待つんだよ、貞操は守らないけどな。

彼らに求めるのは、簡単に嘘をつかないで、いい人でいたいから甘い言葉でその場を凌ごうとしないでってことだけなのに。

 

しかし、去り際でさえ、わたしに対して誠実でいてよと願うのは、

自分を騙した男の人に骨まで愛してと迫るようなものなんだ。

はじめから尊重する気もないわたしに、誰が真実を告げるだろうか。

 

真実はわたしを楽にする。

君とは今晩だけだよとあなたが真実を告げるならば、

クソみたいな一夜をありがとうと感謝して、あなたを忘れるだけで良い。

 

そうさせてくれないのは、誰もわたしを大事だと思わないからだ。

 

城卓矢が川内康範先生の怨念こもった歌詞を歌うのは、あれを女が歌ったら、人類は二度と異性間恋愛をするまいと誓うからに違いない。

蔦屋書店に唾を吐け!

中目黒に行ったら高架下に色々できていた。

蔦屋書店があったから、代官山蔦屋書店と同じぐらいクソなのか確認するために入った。

まあ同じぐらいクソだし、棚ごとにいけすかないジャンル表示があるのも死ぬほどだせえなと思った。

どんな表示か忘れたけど、「ていねいな暮らし」みたいのを少し捻ったやつだ。

仮に欲しい本が棚にあったとしても、蔦屋書店がていねいな暮らしとしてレコメンドしているなら、

中目黒ブックセンターまで行って同じ本を買ったほうがマシだ。

どの入り口から店に入るかでどの棚と最初に出会うかは変わるけど、

わたしは広告関係の本が並ぶ一角にでくわし、

佐藤可士和だらけの棚作りに嫌気がさしてしまった。

蔦屋書店がセレクト本屋ぶったって、広告コーナーは佐藤可士和しか売れないし、

文芸コーナーは宮部みゆき東野圭吾、そして「火花」で芥川賞を取った又吉直樹が帯に写っている本しか売れないのだ。

別の入り口から入ると、女性向け自己啓発本が並んでいて、この本屋は代官山蔦屋書店と同じかそれ以下にクズだなと思った。

 

平台には、代官山蔦屋書店と同じく誰が買うのかさっぱりわからない雑誌が並べてあった。

その中に「CDジャケットで振り返る90年代」みたいな特集をしている雑誌があって、ペラペラめくってみたが、その年のトップ10アルバムから時代を振り返るみたいな感じで、

企画したの誰だよと思った。

 

 各年トップ10アルバム以外に、担当者が個人的に選んだジャケットが掲載されていた。

1996年はフィッシュマンズ「ロングシーズン」が選ばれていた。

 

LONG SEASON

LONG SEASON

 

 フィッシュマンズなら「空中キャンプ」か

 

空中キャンプ

空中キャンプ

 

 「宇宙日本世田谷」だろうと思ったけど、

 

宇宙 日本 世田谷

宇宙 日本 世田谷

 
宇宙 日本 世田谷

宇宙 日本 世田谷

 

 この2枚はデザイン過剰と思われたのかな。

 

それはどうでもよくて、担当者はフィッシュマンズを「スチャダラと違って笑えないユルさを表現したバンド」と書いていて、

こんなやつにページ任せたの誰だよと思った。

 

スチャダラは確かに笑いを混ぜた曲もあるが、5th wheel to the coachなんかドープで、全くゆるくない。

それにスチャダラのトラックはいつも計算しつくされている。

それはフィッシュマンズと対比させるものではない。

 

フィッシュマンズは一貫して音はDubで、音数が少ない。ロングシーズンはプログレみたいだけど。

歌詞はとてもプライベートだが、それをユルいと表現するなんて物書きがすることじゃない。どちらかと言うと救いを求める鬱病患者的な歌詞だと思う。

 

ああ、リーマンショック以降貧乏極まった、いやまだまだ底をついてないから人々は底がすぐそこにあるのを怯えている現代からしたら

1996年はなんてユルいんでしょうってこと?

あほらし。こんな雑誌を作るなんてほんと恥ずかしくないのかな。

 

どうしてこの雑誌をこき下ろしたかと言うと、これはまるで蔦屋書店みたいなもんで、

ガワだけ取り繕えばあんたらバカだからその気になるでしょうみたいなクズの意図が隠してあるから。

 

中目黒蔦屋書店も、店内の狭いスペースにギチギチにベンチがしつらえてあって、そこに座ってMacbook開いてなんかしている人々がおり、

こいつら蔦屋書店に雇われたサクラか?と思った。少し行けばサイゼリヤでゆったり作業できるし、蔦屋書店に仕事に役立つ本があるかしら?

 

いやしかし、蔦屋書店に高尚そうに並べてある本たちの織りなす世界にフィットしていくことこそが、金持ちになる道だったりしてね!

文化なんかいらない、佐藤可士和でいい、朝井リョウ宮部みゆき東野圭吾でいい、自己啓発本を買いまくれ、専門知識のないアートディレクターが駄文を添えたCDジャケットで昔を知った気になれ、

うん、そっちのがマスに受ける人間になれるよ。

 

人生に面白味はいらない、

人類はTポイントを貯めなさい、

だって蔦屋書店の外壁ってTの字が大量に組み合わさってんだぜ。

 

世界をTに染め上げろ!

だってあの店で買い物をする人々はそれを望んでるんだろ。

 

 

誕生日プレゼント

去年は元配偶者の誕生日が来るのを楽しみにしていた。

だって生まれてはじめて結婚した相手に誕生日プレゼントを選ぶことができるからだ。

なにをプレゼントするかはすぐに思いついた。

彼は坊主頭で、ニットキャップしか持っていなかったから、冬向けの素材でできたハットを探そうと思った。

彼に似合うハットを探すのに、渋谷や恵比寿、代官山を歩き回って(当時住んでた部屋からどの街も徒歩県内だ)

素敵なハットを手に入れることができた。

それは彼によく似合った。

彼がそれを被るとどこの国籍所持者かわからない、マフィアのような雰囲気になった。

そのハットを被った彼と表参道に行った記憶がある。

並木道はライトアップされていた。

わたしのお気に入りの中華料理店は、相変わらずお兄さんが絶妙な距離感で冗談を言って、

帰り際にわたしたちの写真を撮ってくれた。

お兄さんはiPhoneのカメラを連写モードにして、わたしたちを笑わせた。

今その写真を眺めると、わたしが恐ろしいぐらい幸せそうな笑顔で写っていて驚く。

わたしは彼に恋をしていた時期もあったのか。

 

彼の誕生日は12月で、すぐにクリスマスが来た。

クリスマスプレゼントも、すぐに思いついた。

彼は目鼻立ちがはっきりしているから、個性的な服が似合うと思ったので、

サファリパークにいるような動物がランダムにプリントされた上着を選んだ。

彼は喜んでくれて、よくそれを着ていた。

 

離婚したから、彼はわたしがプレゼントしたものをもう身につけないかもしれない。

とても似合っていたから残念だけど仕方がない。

 

わたしは結婚生活の後半、買い物依存症に陥り、彼はその支払いで手一杯だった。

だから彼はわたしに十分なことをしてくれた。

 

このままだと彼が借金しなければならないと思いわたしから離婚を切り出した記憶があるけど、

その決心の後押しをした出来事がある。

 

もう彼もわたしと離婚したいだろうとは分かっていたけど、

もしかしたらと一縷の望みを抱き、

イヴサンローランかなにかの口紅をねだったのだ。

その口紅はケースにアルファベットの刻印ができるもので、antipopと刻印したかった。

だけどもちろん彼はわたしの常識はずれのワガママを拒否した。

 

だって毎月20万以上わたしは買い物していて、そのうえ口紅をねだるなんて論外だ。

彼はそんなふうに突っぱねた。

当たり前の話だ。

だけど、僅か4千円くらいの余分な愛情を彼は持ち合わせていなかったのだ。

だからわたしは離婚を申し出た。

 

そこからは、わたしの今後の生活に支障が出ないように2人で話し合い、

離婚届けを出す日取りも決めて

何もかもつつがなく、離婚に向かって進んで行った。

 

2人の間に愛情がなくなったから離婚した。

後悔するはずもない。

わたしは彼からあとあとまで残るような物品は受け取っていないから、

誰かと別れるたびに行う、プレゼントを返却する作業も必要なかった。

わたしたちは、婚礼写真も結婚指輪も作らなかった。

 

本当に結婚していたのかな?

それを実感しているのは財産を失った彼のほうかもしれない。

素敵なハットやお似合いの上着をプレゼントする浪費家なんか選ぶんじゃなかった、と思っているかもしれない。

 

映画「聖の青春」書き忘れ

この映画さあ、なんで師匠の森先生と村山聖との交流をきちんと描かなかったかねえ。

「冴えんなあ」

って台詞が全然活きないじゃんか。

 

あと村山が生きた時代を描いてるんだぜ。その時村山は東京にいたとしても、阪神淡路大震災をスルーするって…

ならもうフィクションに徹して、全員最初から東京に住んでることにしちゃえば良かったんだよ。

谷川浩司なんか震災のとき大変な思いをして将棋を指したんだぞ。それを羽生善治に負けるシーンで一瞬しか出さないなら、

全く架空の日本で、実在しない村山聖と実在しない羽生善治の熱い将棋バトルにしちゃえよ。

映画「聖の青春」全く乗れなかった

映画「聖の青春」観る。

大崎善生先生の名著「聖の青春」を下敷きにしたフィクションで、

原作の素晴らしさが再現されるわけもないとは覚悟していたけど、

村山聖が明確に棋士になると決意し、以降幼いのにネフローゼの治療を頑張り、

子供には難しい将棋の本を読み漁るなど必死の努力をするきっかけとなった、

谷川浩司を、村山聖が子供ながらに

「谷川を倒して名人になる」と決意させた谷川浩司を、羽生善治に置き換えるのなら、

村山聖にとって倒すべき、また憧れの対象でもある羽生善治の人物像についても掘り下げるべきだと思った。

あれでは、背の高い羽生善治の物真似をずーっと見させられるようなもので、その物真似も、追い込まれたら髪を掻き毟るとかその程度だし、飽きる。

人物像の掘り下げについては主人公村山聖についても同様。

幼い頃ネフローゼを患い、小児病棟に長期間入院しているうちに、同室の子供が闘病虚しく死んでいくのを何度も目にしたからこそ、

人はすぐ死ぬ、自分も長くは生きられないと言う死生観が培われたわけで、

だから村山聖は、棋士になってから、短い青春を貪るかのごとく、深酒をし、麻雀に打ち込んだ。

腎臓を病んでいるから、腎臓に負担がかかるようなことは禁忌なんだけど、

森先生をはじめ周囲は村山の短い生が、充実すればそれで良いと許した。

そういう説明が全くないから、村山聖が映画中ワインを飲み過ぎて、棋士や師匠に絡むシーンなんかただの酒癖の悪い人にしか見えない。

幼少時の闘病も端折っているから、村山聖が原作の名台詞を吐いても、深みが出ない。

フィクションと割り切るなら、伝統的な映画のセオリーに則り、ドラマ性を与えるか、それとも淡々とした起伏のないものにするか、方針を明確に定め、きちんと脚本を練るべきなのに、

中途半端に原作をなぞるだけ。

2時間少しの映画だから、フィクションにするのは正解だと思う。原作の登場人物を省略・合体させ、オリジナルキャラを作るのもあり。

でもそのキャラが、原作を読んでいなければどんな個性なのかわからないのだよ。

見た目で、荒崎(先崎さん)は悪そうだなとか、そういう伝えかたで良いのかな?

荒崎が村山に青年らしい遊びを教えるキャラだとしたら、もっとその遊びのシーンを増やすべきだよ。2人の交流を描くべき。

そうじゃないから、荒崎の新車でゲロ吐くシーンなんか、村山がただの迷惑な人にしか思えない。

あれ、原作ではもっと理由がある。で、それを知ってると、村山聖が慕ってるであろう荒崎の車中で嘔吐するなんて、筋が通らない。

 

最大の不満は、羽生善治と定食屋で飲むシーン。普通、その日対局があった人間同士、飲むか?しかもあれ、何局目かよくわからないから、あれが初戦後だったらどうすんだとか困惑するばかり。

で、そのシーンで、原作の名台詞、村山聖羽生善治に対する想いを直接羽生善治に言ってしまうんだが、身を切るような勝負の世界、村山自身殺し合いだと考えているような世界で生きる2人があんな会話するか?

あれじゃ、2人は仲良しで、キャッキャウフフしてるようにしか伝わらないよ。

でさあ、最悪なのが、羽生善治に村山は、自身の女性に対する気持ちを吐露するんだが、それ、倒すべき相手、憧れの対象には絶対言わないだろ。あれは荒崎に言うべきだよ、全く空回りだよね。

しかも恐ろしいことにこの定食屋のシーン、ご丁寧に回想として繰り返されるのだ。

そんなことに時間を使うならほんと、各キャラクターの人物像をもっと掘り下げてほしい。

 

他にもわたしが不要だと思ったシーンは沢山ある。白鳥がバタバタしてるイメージシーン、なんだよあれ。古本屋の女子との交流も全くいらないだろ。

あと将棋を指してるシーン無駄にスローモーション入れるのダメだ。

 

松山ケンイチだって20kg太ったってだけじゃん。あとは口をひくつかせるのが彼にとっての演技なんすかね?羽生善治役は論外。リリー・フランキーも手癖で味わい深く見せてるだけ。

 

橘役の安田顕と、名前忘れたが森先生の弟子役の染谷将太ぐらいか、良かったの。あの2人は特に人物像を描かれていなかったが、演技でキャラクターがどんな人間か伝えようとしていた。

 

この映画、原作読んでないとさっぱりわからないと思う。ドラマ映画として観たら全てのシーンが断片的で、ストーリーが胸を打たない。

原作ファンは、名台詞や印象深いエピソードを拾っただけの薄い映画にしか感じないのでは。

 

フィクションにするなら、村山聖羽生善治の勝負の話と割り切り、同世代だが2人の天才性に追いつけない人を出したり、荒崎みたいに村山聖と青春を共にする仲間を丁寧に描いたりして、観る者にカタルシスを与えてしまおう、ぐらい改変すれば良かったのに。

 

映画を観ている間ほんと苦痛でした。

 

わたしが恋に落ちるとき

ものすごく昔、わたしは、はてなブックマーク界の偉人id:Midasさんと毎晩のように電話でお話ししていた時期があって、

ねえねえ、ミダスさん、わたし、あの産婦人科の先生好きなのかも、みたいな話をしたら、

あなたは股を見られると人を好きになるのよ、

と言われた記憶があります。

 

しかしそれは本当かもしれないな。

高齢処女じゃなくなって以来、やったら好きになっちゃうもん。

 

でも物事は上手く行かず、大抵の男性は、会ったばかりの女が股を開くと、

こいつぁ手軽だな、って思うらしく、

やったら好きになるわたしと、すぐにやる男性とは恋愛関係に陥ることはないのであります、

たまに例外があって、入籍したりするけど。

 

朝からこんなことを考えているのは、やったからであります。

だって元配偶者が石田ゆり子に夢中なんだもん。